4月5日、早稲田大学、社会学部早田先生より田野畑村の被災&復興状況案内がありました。
WAVOC戸川事務長よりアポイント 4月3日(日)
田野畑村役場訪問 4月4日(月)10:00?
上机村長(名刺交換)
・早稲田の古谷先生に避難所のパーティションを依頼した。
・今後もよろしく支援をお願いしたい。
堀川課長(5分ヒアリング)
・村長は 高台に住む復興案をもっているようだ。
・今後、早稲田大学には、よろしく支援をお願いしたい。
工藤主査(1時間車で被災現地を案内&ヒアリング)
・死者14人、行方不明者26人
・避難者は一時500人以上いたが、電気、ガスが順に開通し、自宅に戻りはじめている。
・最終的に家を失った人は300?400人となる見通し。
・仮設住宅は160戸建設する。希望者には全員分供給する。
・残りの人たちは、関係者の家に当面住む、多地区へ移る、などだ。
・この機会に外に出る、という決断をする人もいる。すでに4世帯が地区外に出た。これから村を担ってくれると期待していた若い人だっただけに残念でならない。出る理由は借家であるからで、再建できるか所有者次第であるので、先の見通しが全く立たないため、あきらめざるをえなかった。
・「津波浸水想定区域」まで、予想通り、ちょうど被災した。
・あの石は津波岩といわれ、三陸沖地震のときに上がったものだ。それと同じところまで水が来た。
・沿岸の松林が全部倒壊した。野田村の高田松原は何本か残っているが、こちらは全部倒れた。黒松だったが倒れて赤松に見えるかんじ。
・倒れた木はチェーンソーで切りそろえてチップにする。
・田野畑村の復興ペースは他に比べると速いほうだと思う。
・被災した2つの集落は、ほとんど漁業関係者だ。うち加工業者が1件。漁師の人々らしく元気な集落だった。沿岸部の地域の中心的な集落だった。それが一気に限界集落になってしまうかんじ。
・「机浜番屋群」が全部消滅した。平成18年水産庁の「未来に残したい漁業漁村歴史文化財百選」に選ばれ、貴重 な漁村の原風景をとどめる所であった。住居は時化や津波の被災から守るため、そして農耕や炭焼きをするために高低差約200メートルの高台に建てられ、番屋は「納屋」であるが、漁が忙しいときはここに寝泊まりする。保存活用協議会で検討し、予算もつけて今年ビジタセンターをつくる予定だったが。
・岩手大学の三宅先生がきて、復興するか、どうするか、、、と話した。
あそこにひっくりかえっている船はトンネルを流れてきたようだ。
・都市の復興も重要であるが、やはり経済の復興が大事だ。仕事があること。それが心配だ。
・ホテル羅賀荘は第三セクター方式でつくった。3階まで被災したが、その上は大丈夫なようだ。復興のシンボルになるといい。教育委員会と今年のセミナー企画の内容を決めたばかりだったので、どうしようか、と話した。「これからどうしようか、というセミナーでもいいじゃないの、ガレキを片づけながらでも」と話した。